タモリ・たけし・さんま BIG3 世紀のゴルフマッチ』(タモリ・たけし・さんま ビッグスリー せいきのゴルフマッチ)は、1988年から1999年にかけてフジテレビ系列で正月(1月1日または1月3日)の夕方から夜にかけて放送されていた、ゴルフをメインとしたバラエティ番組・新春特別番組である。ステレオ放送、文字多重放送を実施していた。

通称は「ゴルフマッチ」「BIG3ゴルフマッチ」「世紀のゴルフマッチ」「BIG3ゴルフ」。

お笑いタレントのビートたけし・明石家さんま・タモリのいわゆる『BIG3』3名の冠番組である。

番組概要

『お笑いBIG3』の共演

お笑いタレントの大御所である「BIG3」(ビートたけし、明石家さんま、タモリ)が、関東地方近県(箱根、筑波山周辺など)のゴルフ場を舞台に、9ホールのストロークプレーを展開する番組である。ただし単なるプレーでは面白くないため、各ホールに様々なアトラクションを用意し、エンターテインメント性を重視した対決とした。1988年の番組放送開始当初は通常のホール(ノーマルホール)も多数存在したが、放送回数を重ねるごとにアトラクションの難易度や種類がエスカレートしていく。

司会進行は「BIG3を唯一操れる存在」とも言われた逸見政孝(元フジテレビアナウンサー)を迎えたが、1993年12月に逸見が胃がんによる療養の末に逝去する。1994年および1996年からは逸見の後輩にあたる川端健嗣(フジテレビアナウンサー)が司会進行を担当した。また、ナレーターは1988年の第1回から関根勤、1991年(第3回)と1994年(第6回)は松尾伴内が担当した。

当初の番組タイトル名は『タモリ・たけし・さんま BIG3ゴルフマッチ』だったが、1989年に『タモリ・たけし・さんま 世紀のゴルフマッチ』と“BIG3”の表記が一度消えた代わりに“世紀の”の表記が入り、1991年以降は両方とも含まれた『タモリ・たけし・さんま BIG3 世紀のゴルフマッチ』と変更された。最末期の1998年・1999年は『タモリ・たけし・さんま BIG3 世紀のゴルフマッチ'98』『タモリ・たけし・さんま BIG3 世紀のゴルフマッチ'99』と年号が入る。

番組内容

1988年(第1回)は、早朝の集合時間(AM6:30)に対するタモリの愚痴から始まった。これはBIG3のスケジュール調整が困難を極めたことによるものであるが、BIG3全員が多忙の中、ゴルフ場で一堂に会せたことには全員が驚き、「奇跡みたいな番組」(タモリ)、「(一堂に会する事は)夜明けとの勝負」(たけし)、「こんな組み合わせはもう有り得ない。この3人、会わそう思うたら会わせられるんですねぇ」(さんま)と発言し、逸見も「やれば出来るんです!」と返答するなど、この番組がのちに正月恒例の名物番組へ進化することは誰もが予想していなかったことがうかがえる。

タモリが6連覇を達成する一方で、さんまは一度も優勝したことが無い。1999年(第10回)のオープニングで川端から指摘されると、さんまは「優勝の事を言うのならこっちは文句有りまっせ!おたくの英語禁止ホール、アホみたいにしゃべらんと、一人だけ真面目に…」とタモリに発言し、この回は最後まで優勝争いに加わって優勝寸前まで行くが、最終的にタモリに敗れた。

番組のもう一つの特徴として、関根勤によるナレーションがある。基本的にコースの説明以外は大半が関根のアドリブで語られ、VTR中の三人の行動(特にさんま)にツッコミを入れたり、ナイスプレーの際には持ち上げたりと、番組の盛り上がりに一役買った。

エンディングでは表彰式が行われ、豪華賞品が贈呈される。1999年(第10回)は特に豪華とされ、以下の商品が贈呈された。また、参加賞としてからくり時計、ズワイガニ、お酒などが贈呈された。

  • 優勝者(第1位):記念トロフィー、副賞としてプラズマテレビ
  • 真ん中賞(第2位):記念トロフィー、副賞として電動自転車、ゴルフウェア
  • ブービー賞(第3位):記念トロフィー、副賞として温泉旅館の宿泊券、天体望遠鏡、ぬいぐるみ

英語/日本語禁止ホール

番組最大の名物と言っても過言ではないのが「英語/日本語禁止ホール」である。

このホールでは、英語または日本語が話せないBIG3による珍表現(英語禁止の例:「ナイス入り」、「大橋巨泉ギフトショップ」)や、英語禁止ホールではゴルフ用語を強引に日本語へ言い換えたものが続出した。さんまはこのホールが大の苦手で、タモリや逸見による言葉巧みな誘導によって発言し、それを複数回繰り返してペナルティーを重ねたり、タモリ・たけしを誘導しようとして逆に自爆してしまい、相当なハンデとなっていた。たけしはさんまと異なり、逸見らの誘導によるペナルティーや他人への誘導により逆に自爆することはあまり無かったものの、打った後の油断などから誰も誘導していない関係無い場面で勝手に自爆する事がさんま以上に多く、そちらでペナルティーを重ねてしまった。一方でタモリは「頭の中で一度考えてから喋ればいい」という持論の元、ほとんど自爆することが無く、ペナルティーを連発する2人とは対照的だった。それでも油断から自爆することがあり、その際はかなり悔しがる仕草も見せていた。

珍表現の例
  • 1番ウッド→「1番
  • 5番アイアン→「5番
  • バンカー→「砂場
  • サブグリーン→「副緑(ふくみどり)」または「補助緑(ほじょみどり)

この「英語禁止ホール」は1988年(第1回)から始まったが、さんまの「大活躍」によって予想以上の盛り上がりとなり、以後は番組に欠かせない名物ルールとなった。

出演者

BIG3

  • タモリ
  • ビートたけし
  • 明石家さんま

各人にはそれぞれにイメージカラーが与えられており、タモリは赤色、たけしは緑色、さんまは青色であった。

司会進行

  • 逸見政孝(元フジテレビアナウンサー、1993年(第5回)まで)
  • 川端健嗣(フジテレビアナウンサー、1994年(第6回)より)

逸見は番組の進行役の他に、3人へのツッコミ役としても実力を発揮し、本番組だけでなく『FNS27時間テレビ』内のBIG3企画に欠かせないホスト役として「BIG3 1」とも言える名物的存在となるが、結果的には逸見の逝去がこの企画の失速につながった。また、逸見自身もゴルフが趣味の一つであるため、各ホールやプレーの状況説明も的確だった。

ナレーター

  • 関根勤(第3回、第6回を除く)
  • 松尾伴内(第3回、第6回)

各年の放送回・タイトル・番組行われたホール

第1回(1988年)『タモリ・たけし・さんま 世紀のゴルフマッチ』

ホールごとの得点ではなく、打数の少なさで競う。ハンデはタモリ:9、たけし:0、さんま:3。じゃんけんの結果、タモリはクラブ所属のプロゴルファー、たけしは2ヶ月目の新人キャディー、さんまはベテランキャディーが付く。

総合成績

1位:タモリ(13オーバー)、2位:たけし(22オーバー)、3位:さんま(28オーバー)

優勝したタモリには賞品としてゴルフセットとジャケットが贈られたが、ジャケットはみのもんたが当時『プロ野球ニュース』で着用していたものの使い回しだった。

第2回(1989年)『タモリ・たけし・さんま世紀のゴルフマッチ』

この年は、唯一18ホールで行われた。打数の少なさで競い、ハンデは無かった。

総合成績

1位:たけし(44オーバー)、2位:さんま(44オーバー)、3位:タモリ(57オーバー)
18ホールを終わって、たけしとさんまが同スコアであったため、じゃんけんで優勝を決めた。
たけしがじゃんけんに勝ち優勝、さんまは10回の中で最も優勝に近づいた年であったがじゃんけんに負けて逃した。

この年の優勝者はたけし。タモリがこの大会以降、一年間のゴルフ決別宣言を行い、翌年は開催されず。

第3回(1991年)『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ』

この年も打数の少なさで競うが、オープニングトークでタモリが「ハンデは無しで良い」との発言により、設定されず。

総合成績

1位:タモリ(30オーバー)、2位:たけし(41オーバー)、3位:さんま(65オーバー)


第4回(1992年)『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ』

総合成績

1位:タモリ(18オーバー)、2位:たけし(35オーバー)、3位:さんま(62オーバー)


第5回(1993年)『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ』

この年、たけしが集合時刻に大遅刻してオープニングに間に合わず。最初のホールでペナルティーとして5打追加される事態となった。日本語禁止ホールは行われていない。同年12月に逸見が逝去。

総合成績

1位:タモリ(36オーバー)、2位:さんま(50オーバー)、3位:たけし(64オーバー)


第6回(1994年)『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ』

前年12月に逸見が逝去したため、この年以降の司会進行が川端健嗣に変更。この年から得点制が導入される。各ホール1位:5点、2位:3点、3位:1点。さらにバーディーで5点。パーで3点加算される。INの9ホール(10~18番)が使用された。

総合成績

1位:タモリ(45点)、2位:たけし(29点)、3位:さんま(28点)


第7回(1996年)『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ』

総合成績

1位:タモリ(31点)、2位:さんま(29点)、3位:たけし(27点)


第8回(1997年)『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ』

総合成績

1位:タモリ(40点)、2位:さんま(30点)、3位:たけし(23点)


第9回(1998年)『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ'98』

この年から得点はボギーで1点が加算されるようになった。

総合成績

1位:たけし(36点)、2位:さんま(32点)、3位:タモリ(29点)


第10回(1999年)『タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフマッチ'99』

この年のみ全8ホールで行われ、5番ホール以外すべてたけしがビリであった。

総合成績

1位:タモリ(43点)、2位:さんま(41点)、3位:たけし(17点)

各回の放送時間・総合優勝者など

その他エピソード

英語・日本語禁止ホール

  • 「英語禁止ホール」については、第1回目では本当に全ての英語が使用禁止だった。そのためキャディに関しては「そこの姉ちゃん」などと呼んでいたが、これが視聴者からマナー上の問題があるとの指摘が寄せられたため、第2回目から特例で許可されるようになった。一方、「日本語禁止ホール」は日本語以外が使用可能のため、タモリの得意技であるニセ外国語が飛び交っていた。
  • 第6回から得点制が導入されているが、これは英語禁止ホールや日本語禁止ホールで、タモリとたけし・さんまの差が大きく開くことで、総合結果でタモリが圧倒的優位に立ってしまうことから導入されたルールである。

その他のルール

  • 第1回から行われていた「ホールインワンチャレンジ」では、ホールインワンに成功すれば高額な賞金が与えられたが、3人とも一度も成功しなかった。賞金の額は毎回異なり、第8回までは最低でも1000万円以上に設定され、第8回の8000万円が最高額となっていたが、第9回からは100万円に減額された。この賞金の額についてはタモリが逸見に「本当に用意してるんでしょうね?現ナマ(現金)で見せて下さい!」とかなり強い口調で疑っていた。
  • 1位は「優勝」、2位は「真ん中賞」、3位は「ブービーメーカー賞」と言われていたが、実施年によっては3位をブービーメーカー賞と呼ばす、普通に「第3位」と表現した回もある。参加賞・真ん中賞の商品としては、からくり時計や電波時計などといった時計が贈られることが多かった。さんまがからくり時計をもらったときは、「今夜は私をからくり時計」というのが定番であった。電波時計は放送当時では珍しいもので、商品提供していたマルマンプロダクツの宣伝文句である「10万年に1秒しかずれない」というアナウンスに対してはすかさず突っ込みが入った。

交友関係など

  • 逸見が生前に「さんまのまんま」へ出演した際に、番組の司会を担当する裏話がさんまから暴露された。タモリがゴルフとの一年間の決別を宣言したことで1990年の放送は無かったが、1991年の正月にて2年ぶりに復活することが決定した際、その話を聞いた逸見は新宿区河田町にあったフジテレビ旧社屋の廊下でプロデューサーの横澤彪を見かけると、突然近寄って「あの3人(BIG3)を仕切れるのは私しか居ないと思います」と言ったという。
  • タモリとさんまは通常のゴルフウェアで参加するが、1996年から1999年の回においては、たけしのみ普通の衣装ではなく、かつてのフジテレビの自身のレギュラー番組「オレたちひょうきん族」のキャラクターである鬼瓦権造のコスプレで出演していた。また、さんまは当時著名なプロゴルファー(フィル・ミケルソンなど)と同じモデルのゴルフクラブを持ってくるのがお決まりとなっていた。
  • 1991年と1992年に、ダウンタウンとウッチャンナンチャンが「リトル4」と称してゴルフで競う番組が放送された。しかし当時の4人のゴルフの腕前は素人同然で、BIG3では司会を担当していた逸見の趣味がゴルフだったこともあってゴルフ番組的要素が強かったのに対し、リトル4の番組では4人の下手さを楽しむバラエティ番組としての要素が強かった。優勝したのは浜田雅功だが、この番組ではそれぞれ芸能界のゴルフ通から各自手解きを受け、その様子も放送されている。(浜田:明石家さんま、松本人志:和田アキ子、内村光良:笑福亭鶴瓶、南原清隆:武田鉄矢)。

その他

  • 第10回の放送でたけしが最下位を独走中の時、「来年は止めよっかな~」と発言した。当然ジョークだったが、実際にはこの第10回が最後となってしまった。なお、この発言が影響して放送が終了したわけではない。
  • 1996年の回では、オープニングにおいて司会の川端曰く「アメリカに住む日本人からBIG3をぜひ見たいという要望がフジテレビに多数寄せられた」そうであり、放送局は不明だが日米同時放送も実現した。
  • タイトルのロゴは、番組最終期である1997年から1999年にかけてはカラフルなものだったが、放送されなかった1990年と1995年を除いた他の年は赤一色のシンプルなものだった。
  • 2018年12月22日フジテレビ系で放送された「出川と爆問田中と岡村のスモール3」では、お笑い界の「ビッグ3」に続けとばかりに、身長160cm以下のお笑い芸人が「スモール3」を結成。出川哲朗、田中裕二(爆笑問題)、岡村隆史(ナインティナイン)が様々な企画に挑戦し、ZOZOTOWN社長の前澤友作と共にゴルフ企画を行った。
  • 2024年10月2日に同局系で放送された特番『小泉孝太郎&ムロツヨシ 自由気ままに2人旅 第6弾後編』内で小泉孝太郎&谷まりあ、ムロツヨシ&イ・ボミ(女子プロゴルファー)の2組よるゴルフ対決企画(計3ホール)が行われ、第2ホールで英語禁止ルールが適用された。

2000年度以後の元日夕方枠

スタッフ

1999年(第10回)時点

  • 構成:大岩賞介、詩村博史
  • TD(テクニカルディレクター):岩沢忠夫
  • カメラ:藤江雅和
  • VE(ビデオエンジニア):斉藤雄一
  • 音声:篠良一
  • 美術プロデューサー:重松照英、小須田和彦
  • デザイン:山本修身
  • 美術進行:吉田敬
  • 編集:今井克彦、轟禎治(二人共にD-Craft ※元IMAGICA所属)
  • MA(マルチオーディオ):石川英男(IMAGICA)
  • 音響効果:中村友美(3×7)
  • ディレクター:佐々木宗彦・笠井雅旭(フジテレビ)
  • 演出:三宅恵介(フジテレビ・以前はプロデューサー)
  • プロデューサー:加茂裕治(フジテレビ、5代目)
  • 協力:大箱根カントリークラブ、平成倶楽部(鉢形城コース)
  • 衣裳協力:東京23区
  • 技術協力:ニユーテレス、IMAGICA、3×7、D-Craft
  • 制作協力:田辺エージェンシー(タモリ)、オフィス北野(たけし)、吉本興業(さんま)
  • 制作:フジテレビ第二制作部、フジテレビバラエティ制作センター
  • 制作著作:フジテレビ

歴代スタッフ

  • 構成:高橋秀樹、見崎新吾
  • 技術:永田正孝・馬場直幸(フジテレビ)
  • MA:植松厳(IMAGICA)
  • 音響効果:川嶋明則、石川清、玉井実(OCBプロ)
  • ディレクター:山縣慎司、平林長務、秋葉裕三(フジテレビ)
  • プロデューサー:横澤彪(初代、第1回 - 第2回) → 山縣慎司(2代目、第3回 - 第6回) → 三宅恵介(3代目、第7回) → 大平司(4代目、第8回 - 第9回)(フジテレビ)
  • 技術協力:東通(第1回 - 第9回)、東京フイルム・メート、OCBプロ(第1回 - 第9回)

脚注

注釈

関連項目

  • FNS27時間テレビ
  • FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島
  • オレたちひょうきん族
  • 森田一義アワー 笑っていいとも! - 2014年まで放送していたタモリ司会の同局生放送帯バラエティ番組。さんまも1995年まで金曜日にレギュラー出演しスタッフも共通だったため、放送前年最終金曜日には毎年番宣をしていた。さんま降板後もタモリが1998年まで年間最終放送日に番宣していた(ただし、さんま降板後スタッフは一新した)。
  • 平成教育テレビ
  • SMALL3
  • ミドル3 - さまぁ〜ず・雨上がり決死隊・くりぃむしちゅーの3組によるテレビ朝日系列の特別番組(2004年〜)
  • 志村&鶴瓶のあぶない交遊録 - テレビ朝日で放送されていた正月の深夜番組。本番組を意識した「英語禁止ボウリング」というコーナーが存在した。

外部リンク

  • フジテレビ

タモリたけしさんまBIG3世紀のゴルフマッチ 1999(H11)1.1(金) MAGMOE

新春恒例 「タモリ・たけし・さんま BIG3 世紀のゴルフマッチ」1994 P3 YouTube

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新春恒例 「タモリ・たけし・さんま BIG3 世紀のゴルフマッチ」1994 P1 YouTube

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