佐竹 義脩(さたけ よしなお、嘉永7年7月1日(1854年7月25日) - 明治26年(1893年)12月22日)は、日本の華族、陸軍軍人。佐竹氏第31代当主。出羽久保田新田藩(岩崎藩)主・佐竹義諶の長男。初名は義紀。通称は幸之助、亀丸、次郎。官位は従四位下侍従、修理大夫。爵位は男爵。
経歴
嘉永7年7月1日(1854年7月25日)、出羽国相馬中村藩士・熊川長顕(義諶の初名)の長男として生まれる。
安政4年(1857年)9月16日、父・長顕が義脩の伯父に当たる佐竹義核の跡を継ぎ、出羽新田藩主(後に岩崎藩主)となる。しかし、義脩は熊川家に残った。
同年11月9日、佐竹義諶は長男・義脩の引き取りを中村藩に申し入れる。同年12月22日、佐竹家入りの儀式を行う。元治元年(1865年)4月7日、伯父で久保田藩主佐竹義堯の養子となる。慶応元年(1865年)12月6日、従五位下修理大夫に叙任する。同年12月14日、従四位下侍従に昇進する。
明治5年(1872年)8月2日、養父・義堯の隠居により、家督を相続する。明治9年(1876年)2月、陸軍に入り、少尉に任官し、後に大尉にまで昇進する。明治14年(1881年)8月16日、隠居し、養父・義堯に家督を譲る。同年11月22日、秋田藩を離籍、岩崎藩に復籍する。明治22年(1889年)10月26日、男爵となる。
明治26年(1893年)12月22日、死去した。享年40(満39歳没)。
栄典
- 1889年(明治22年)
- 10月16日 - 男爵
- 10月23日 - 従五位
家族
- 父:佐竹義諶(1837 - 1870) - 出羽国岩崎藩8代藩主
- 養父:佐竹義堯(1825 - 1884) - 出羽国岩崎藩7代藩主。のち、出羽国久保田藩12代藩主。
- 前妻:佐竹雅子(1858 - 1903) - 佐竹義堯の娘
- 後妻:佐竹ウメ(? - 1952)
- 生母不明の子女(6男5女)
- 長女:英子(1880 - 1952) - 佐竹東家第22代当主・佐竹銀子の養子(後に離縁)。島津珍彦男爵の長男・壮之助男爵の妻。
- 次女:雄子(1888 - 1962) - 佐竹義立男爵の妻。
- 養子
- 佐竹義立(1885 - 1935) - 佐竹義理子爵の三男。義脩の死後、男爵の爵位を継承する。しかし、1929年に爵位を返上した。
脚注



